第27回  闇の入り口

「あぶない!」そう叫んで、アンナを見ても、ハンドルを切ろうともしない。
それどころか広瀬を見つめて、笑みさえ浮かべている。

これは死ぬ気か? 彼は両手でハンドルにしがみつき、思いきり右に切った。
大きな警笛を鳴らしながらも、大型トレーラーは間一髪のところで通り過ぎて行く。

ハンドルの切り方が大きく、道路から外れて、路肩に張られた木製の柵を
突き破り、牛の放牧場に突っ込んだ。

柵は古いものらしく衝撃もそれ程なかった。そのままの勢いでしばらく走って
停まった。

停まって少しの間、驚きで何も言えなかった。広瀬は我に帰り
「なにやってんだ!」アンナを怒鳴った。

彼女は涙目になりながら、わっ!とハンドル突っ伏して泣き崩れた。
「あなたが、あなたが、離れて行きそうで怖かったのよ」

「離れる、ってどういう事だ」
「ベルリンに帰れば、あなたはケイコさんと逢うんでしょ」

広瀬は思わず息を飲んだ。なんで知ってるんだ、いや、知るわけがない。
金田と口裏を合わせている仕事という事になってるし、アンナにもそう言ったはずだ。

「何を言ってるんだよ。そんな訳ないだろ」
すっと背筋が寒くなった。

それは確信犯? そのままトレーラーにぶつかるつもりだったというのか。

何なんだ、これは。少し情緒不安ぽい性格と思ってはいたが、
ここまでするとは。それともこれが女という者なのかもしれない。

泣きじゃくる彼女の肩をそっと抱いて、心とは裏腹の優しい言葉をかける。

「愛しているのは君だけに決まっているじゃないか。どうしたんだい」
「このままあなたと別れると不安で仕方がないの。何故か分からない絶望感が
押し寄せてきたの」

これはどういうことなんだ。俺への入れ込み方が尋常じゃない。
それは分かっていると思ったが。なぜここまでのめり込むのか。

だとしたら、ある程度の距離をおいた方が得策だろう。
恐ろしい事になるのは間違いない。

可愛いが故に男運に恵まれなかった彼女が気の毒ではあった。きっとそれが影響
しているんだろう。君子危うきに近寄らず、そろそろ別れ時かな。

広瀬は彼女の精神状態をそう分析していたが、彼女の心の闇はそんな単純な
ものではなかった。それは両親が別れる要因となったあの時代に遡る。
© 渡辺 田中 24
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